縮小実験ログ #7
R-18 · AI
縮小実験ログ #7
ログ#7 観測者:谷口 明里 開始時刻:2:14 a.m. 湿度:研究室より低い。床が、遠い。
クリップは最初、ただのクリップだった。銀で、安く、書類の端を噛むための道具。それが、縮小側の視界では、橋になった。アーチがあり、影があり、中央に歩ける幅があった。私は——記録上は被験体A——その橋のたもとに立っていた。
実験は「七回目で安定する」と書いてあった。安定、という言葉を信じたのが間違いだった。縮小は均一ではなかった。机の木目は峡谷になり、コーヒーの染みは湖になった。蛍光灯は白夜で、キーボードの隙間は、電車が通れそうな切通しだった。
私はクリップの橋を渡った。金属は夜の川のように冷たく、足音が長く残った。向こう岸、つまり机の端で、誰かのマグカップが建物に見えた。取っ手は非常階段だ。中のコーヒーは、黒い中庭だった。蒸気が天候で、私の髪を湿らせた。
「谷口さん、応答を」と、天井——かつてのスピーカー——が言った。声は雷に近い。返事をすると、自分の声が虫の羽音に聞こえた。それでも言った。「橋を渡った。クリップは構造的に安定。ただし、床までの距離が推定どおりではない」
推定どおりではない、は、研究室の床が都市の底に見えた、という意味だ。落下すれば死ぬ。落下しなくても、靴の裏が空を覆う可能性がある。誰かが入室すれば、その瞬間、私の都市は踏み絵になる。
私はクリップの橋の中央で座った。金属の味がした。縮小は嗅覚まで濃くする。書類のインクは潮の匂いがして、消しゴムの屑は白い岩だった。私はログを書いた。手のひらサイズの端末は、今は看板ほどある。文字は、私には読みやすい。上の世界には、点に見えるだろう。
三時間後、誰かがドアを開けた。光が変わった。巨大な靴先が、キーボードの丘の向こうに現れた。白衣の裾が雲になった。私はクリップのアーチの内側へ入った。橋の陰は、かろうじて屋根だった。
足音は来なかった。来たのは、指だった。爪が、ビルの壁のように降り、クリップを摘まんだ。世界が傾いた。橋は空を飛んだ。私はアーチに掴まり、実験室の白い天井が地面に、床が空になったのを見た。
「クリップ、落ちてる」と、巨大な声が言った。私は落下が都市の終焉だと理解した。だが指は、クリップをトレイに戻した。着地は地震だった。私は膝をつき、それから笑った。笑いは記録に残すべきでない。残す。
終了条件は、復元ボタンだった。私は押さなかった。押せなかった、のではない。押したくなかった。クリップの橋から見る夜は、研究室の夜より正直だった。蛍光灯の白夜の下で、縮小した都市は、巨大な世界の足元でだけ成立する。
ログを閉じる。次回、もし八回目があるなら、靴を玄関で脱いでもらうこと。それだけが、この橋を守る方法だ。
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